腕の良い職人ほど、難しい現場に入れられ続ける現実
きららホーム代表の井上隆元です。
今回から職人が置かれている現実について書きます。
職人にも腕のいい人と横着な人がいます。
そして建物にも、作るのが難しいものと簡単なものがあります。
建物に難しい? 簡単? 少々分かりにくいかもしれません。
車はオートメーション化された工場で生産されますので、
人が行う仕事は徹底的に簡素化されています。
それに対し、住宅を初めとする建物は基本、注文生産の一品モノなので、
設計や使う部材によって、難易度が変わるのです。
(一時ニュースで流れた新国立競技場のザハデザインなんかが、特に難しい例として分かりやすいかと思います。)
そして、難易度の高い現場には、腕の良い職人が優先して投入されます。
と、ここまで読まれた方は、
「何だ、普通のことじゃないか! 難しい仕事に精鋭を充てるのは当然のことだろ」
と思われるでしょう。
事業を行う側からすれば、全くその通りです。
職人も分かっていますし、意気に感じて仕事をします。
それが正しく評価されるのであれば・・・
職人をしていた頃、私の師匠(親方)と仲の良かった、別の職種の親方が、
「ここにあんたがいるってことは、ここはハマリ現場(施工の難しい現場)だな」
と話しかけてくるのを見たことがあります。
別の親方からも、
「いつも大変なとこばっかやなあ。まぁ出来る人間がおらんのやからしゃあないわな」
こんなことが何度もあり、聞けば10年以上同じことを言われていたそうなのです、ウチの師匠は。
あるリゾートホテルの仕事で、他の部門の職人が責任者に文句言ってるのも見ました。
「何だあの応援の連中は? やりやすいトコばっかりしかやらへんぞ。
面倒なトコは俺にやらせて。
あれで、ようやってくれとる、って会社に思ってもらっちゃ困るぞ。
まあ、一ぺん入ったからには最後までやるけど、ちゃんとその辺のことは、
知っといてもらわんと。そして、あれらと俺を同じと考えてもらっても困る」
多くの腕の良い職人が感じる不平等感です。
腕が良かろうが悪かろうが、おんなじ一人工と見られる(つまり報酬も同じ)ことへの不満。
実は、弟子でいる時は師匠に守ってもらっていたので、
私にはその意味が、はっきりとは分かりませんでした。
独立して、ようやく鈍い私にも理解できるようになったんですね。
でも、不平不満ばかり言ってたんじゃあ、何も変わりません。
日本人は、自分の能力を誇示することを控えるのが美徳とされてきました。
だから職人は、もの言わぬ人たちなんです。
しかしながらインターネットで検索など、誰もが情報を手にする時代に入っています。
これからは、腕の良い職人は、
持てる技術をもっとアピールする必要があるんじゃないかと、考えています。
自分の身を守るのはもちろんですが、
これから建設業を目指す若い人たちに良い影響を与えられるように、
そして日本のものづくりを支えている職人文化を繋いでいけるように。
微力ながらそのお手伝いができればと思うこの頃です。
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