江戸時代の城 国宝に指定されている彦根城
江戸時代の城 国宝に指定されている彦根城
きららホームの井上隆元です。
正月休みにまた彦根城へ家族と行ってきました。
つい2ヶ月前に行ったばかりなのに私も好きなものでして。
あの時は彦根祭りで人・人・人
よく見ることができませんでしたので、今回はその時のリベンジ!
正月の彦根城とは思えないほどの陽気さ。
彦根の辺りから岐阜県の関ヶ原までは、よく雪が降りますのでラッキー (^^♪
さあ、中の様子です。
ぐにゃんぐにゃんに曲がっている松の丸太。
決して私の心が曲がっているからでも
カメラのレンズが歪んでいるからでもありません。
本当にこんな形なんです
「何十年とか100年以上経って、天井裏を開けて入った大工が、
そこにワシの名前が書いてあるのを見るだろう。
そん時に、『いい仕事だ』と言わせる仕事をするんや」
と、今では80を優に超えている元棟梁が言った言葉です。
同じ心意気が感じられる、ものすごい仕事です。(だからこそ国宝!)
この天守閣、元は滋賀県大津市にあった、大津城を移築したそうです。
正月のNHKの知恵イズでもやってましたが、
江戸幕府が開かれた後も大阪城に豊臣氏がいて、
さらには西国の豊臣シンパの大名たちが、
いつ豊臣秀頼を担ぎ上げて向かってくるかもしれないという時代、
家康の命を受け継いだ、若干15歳の井伊直継が建てた城です。
だからこそ、比較的小さい方の天守閣だと思うんですが、
堂々とした外観は、遠くからでも目立ちます。
日本各地でさかんに築城が行われた結果、大きな木材の枯渇と
工期短縮のため、
大津城、浅井家の小谷城、
そして石田三成の居城だった佐和山城から、
木材と石垣が運び込まれたそうです。
そしてここ、西の丸三重櫓(にしのまる さんじゅうやぐら)
特別公開されていたので、ラッキーです。
しかし息子は、写真に撮られるのを嫌がり写ってくれません (TдT) ウゥ…
どこから持って来て再築したのか、未だ不明のこの櫓。
中に私にとって興味深いモノが。
太い横の木材は梁、上下二重になってますので、
二重梁(にじゅうばり)と言います。
二重になっているので、筋交がなくても地震に耐えられます。
神社の鳥居と同じ で、二本の柱だけで建ってるのになぜ倒れないか?
ということは、本当に太い木材を上手く使えば、
筋交も耐力壁も必要なくできるという、いい実例です。
そして、上の梁を下側から見上げてみると・・・
途中で木材が継いであるのが分かると思います。矢印の木材です。
これは「追っ掛け継ぎ」と呼ばれ、非常に堅固な継ぎ方です。
さらにはその位置。
ちょっと難しい話なんですが、建築の構造力学上、
一番無理のない位置で継いであるんです。
経験で分かっていたんでしょう、
江戸時代の高度な技にワタクシ興味深々です。
いや~、いいもの見させていただきました。
次はどこの城へお邪魔しよっかな~♫
夢ハウスパートナー 株式会社きららホーム
岐阜県瑞穂市十七条737-1
江戸時代の城 国宝に指定されている彦根城
彦根城 国宝建築の素晴しさと、ひこにゃん
彦根城 国宝建築の素晴しさと、ひこにゃん
きららホーム代表の井上隆元です。
今日は会社休みでしたので、
家族で彦根城に行ってきました。
ちょうど、井伊直弼公生誕200年祭が開かれていて、
大いに盛り上がってましたよ~♪
彦根城天守閣です。ここには
ひこにゃんがいます (。◕ ∀ ◕。)
実物を見るのは初めてですが、
ホントに可愛いキャラクターですね~。
女性にも子供たちにも大人気。
あっという間に、すごい人だかりに。
毎日パフォーマンスを見せてくれるそうです。
さて、国宝の建物の方は、もう素晴しいの一言。
こちらは国宝・多聞丸の柱。
ちょうな削りの跡を意匠に使ってますが、
こうも美しく表現するには、多大な労力が必要だったことでしょう。
そして天守閣の梁の継ぎ手。
暗くてちょっと見にくいかもしれませんが、
追っ掛け継ぎという強固な継ぎ方で、
現代木造建築では、めったにお目にかかれない工法です。
そして圧巻はこれ。
3層の天守閣の一番下に当たる部分の屋根裏です。
ねじ曲がった丸太を、何重にも積み重ねて
組んであります。
丸太には松の木が使われますが、
庭木の松のように、真っ直ぐには育ちにくいのが松。
その代わりに横に使った時の粘りはとても強く、
古民家でもよく見られます。
コンピューターや計測機械の無かった江戸時代に、
これでもかと技術を見せつけるような匠の技に、
圧倒されました。
この後、彦根城のまわりで
「ひこね城パレード」があり、
たくさんのゆるキャラが集まりました。
ゆるキャラたちについては、
次のブログに書きますのでお楽しみに。
0120-28-5893
彦根城 国宝建築の素晴しさと、ひこにゃん
静岡県・掛川城 木造で再建された城
静岡県・掛川城 木造で再建された城
雨の中に霞む掛川城
きららホーム代表の井上隆元です。
名古屋城の天守閣を、木造で造り直そうという運動があるようです。
戦後再建された城は、一番大切な材料となる
樹齢の高いヒノキが入手困難等の理由で、
鉄筋コンクリート造で多くが作られました。
でもここ掛川城は、平成に入って、
木造で再建された稀に見る城なんです。
掛川城の歴史は古く、室町時代にまで遡るそう。
現在の位置には、山内一豊によってなされたそうで、
江戸時代は東海道の街道筋にある、たいそう美しい城として名を馳せたそうです。
天守閣の中の床板は、確かに本物の木(松)です。
柱も梁も、みんな木で作られています。
天守閣の上から見下ろした二の丸御殿。
この二の丸御殿は、江戸時代そのままの建物だとか。
これは 行くしかない と、早速向かいます。
おおお~、見事な鴨居造り(かもいづくり)
筋かいがなくても数百年倒れなかった秘訣です。
そして
見上げるばかりの竿天井(さおてんじょう)。
杉板でしょうか、すべて無垢材の大変貴重なものです。
今回案内してくださったのは、
静岡県でエクステリア・ガーデニングのトップ会社、
スズランエクステリアの鈴木社長(写真に写ってます)です。
ホームページはこちら http://www.suzuran-ex.com/
帰り際、名物の黒はんぺんに舌鼓。
うちの息子も、ここに来てやっとカメラ目線で
撮らせてくれました。
いいお城でしたよ~♪
静岡県・掛川城 木造で再建された城
「大阪城を調べつくす」 自由研究で歴史探訪
「大阪城を調べつくす」 自由研究で歴史探訪
こんにちは。きららホームの井上隆元です。
先日、休暇をいただいて家族で大阪城へ行ってきました。
目的はリフレッシュの他に、子どもの自由研究が
「大阪城を調べつくす」
(゚□゚*)
・・・本当に調べつくすの?
どうやって?
ま、とにかく行ってみようか
というノリで電車にのって大阪へ。
遠くからも見える、見事な天守閣に見とれつつ着いた早々、外国人の多さにびっくり。
団体さん、ファミリー、2人で、個人と、実ににぎやか。
しかも多国籍!
岐阜の田舎とはまるで違う雰囲気です!!
そして、大阪城へ来たのなら、これを見なくては。
大手門に使われている柱の継ぎ目です。
江戸時代から伝わるものだそうで、
仕口といいますが、いったいどうやって継いだの?
としばらく考えていましたが、結局分からず終い。
う~ん、深い・・・
深いと言えば、大阪城の堀はどのくらい深いんでしょう?
遊覧船が優雅に遊覧していますが
オヤジギャグいらん! ☆\( ̄皿 ̄*)
7~8m以上あるんですかね。
あとは、石垣に使われている石。
うちの子どもが真ん中に小さく写っていますが、この石、
なんと一枚の石です。
この石1つで130t以上 !!w(゚o゚*)w
もあるそうで、これを四国から運んできて積んだって
クレーンも何もない時代に、
どーやってやったんでしょうね?
今見られるのは徳川時代に造られたものだけらしいですが、
江戸時代の土木技術もすごいものだったんですね。
(安土桃山時代の日本文化の驚異的な発展に寄与した豊臣家、
特に豊臣秀頼の偉業については、滋賀県の長浜城の方が詳しく展示してありますね)
他にも「彦根城」「犬山城」「郡上八幡城」など木の城が
私たちの住む中部地方にはまだまだあります
さて最後にご紹介するのは、大阪の水。
大阪の水道水といえば、昔飲んで私、ハラを壊したことがある位、
まずいという記憶しかなかったんです。
これ、「ええやん」
納豆菌か何かにヒントを得て、水をきれいにする仕組みがあるってのをテレビで見たことがあって、
これがそれかい!
試してみようじゃないかい
・・・・・・・う、うまっ w(゚o゚*)w
その会社、発展途上国にその浄水システムを作り続けていて、
本当に感謝されるんだそうです、現地の人たちに。
いつか、「この水はね、日本の人が来てきれいにする方法を教えてくれたんだよ」と
語り継がれる日が来るのでしょう。
あぁ、きららホームも早くそんな会社になりたい。
なんてことを思いつつ、
子どもとの「大阪城を調べつくす」ツアーは終了したのでした。
歩き疲れました・・・。でも歴史探訪楽しかったです。
「大阪城を調べつくす」 自由研究で歴史探訪